意外な繋がり

詳しい人間以外にはまったく知られていないことなんだが、実は縁起物では道真公は弓の達人であったという記述がある。俺も学問の神様が弓?と思ったが調べてみて納得した。
管公の祖先は「力士の始祖」であった人物だというのである。奈良の菅原天満宮では祭神である道真はもちろんのこと。菅原氏の前身である土師氏の遠い先祖だといわれる天穂日命野見宿禰も祀っている。日本書紀の記述を思い出すのがめんどくさいんで、妖魔のリプレイを思い出してくれると助かる。アレに出てきたように野見宿禰当麻蹴速の力比べが相撲の起源と伝説では言われている。その後勝った宿禰のほうは大和朝廷に召し出され、土師氏となったと言われてる。
この土師氏というのが朝廷の主な葬送関係に根深く関わっている。この伝統は後に律令が定められて各氏が旧来の職能から分離されていく中で、土師氏だけが伝統通り葬送関係の職に残ったことからも明らかであるらしい(この辺は調べきらんかった。『続日本紀』に記述があるそうな)。
偉い人の昔の墓と言えば『古墳』。これを造るのは一大事業だった。なんせ機械なぞ無いもの。ところが土師氏はこの大土木工事を一手に引き受けて(任されて)いたという。当時の労働力と言えば文字通り「人手」だったから、土木工事の為には大量の人足が必要だった。だから土師氏はそれだけの人数を集めて統制する力を持っていたということになる。
ここで肝心なことがひとつ。土木工事ができるような連中は武器を持たせればそのまま兵士としても使える。ということはつまり、軍事的にも重要な役割を持っていたと言えるはずだ。事実、壬申の乱では朝廷が墳墓の建設と称して人を集めて武装させているとの風聞が大海人王子の蜂起のきっかけになっていたと思う。
その土師氏の子孫にあたる道真公が武芸に通じているのは、そういうわけで必然なのであった。マル。