扶桑武侠

武侠』の精神構造ってのは実は意外と日本人には理解しにくいんじゃなかろうか。サムライとか武芸者とかとは全然違うんだよな。だから宮本武蔵をお手本にするのはアウト。女をないがしろにしてるから。武侠小説の神様(だと俺は思っている)、金庸
侠客は腕試しなど名誉のためには戦わない
と言っていたはず。彼らは友情や愛情そして正義のために命を賭ける。『北斗の拳』を思い出してもらいたい。戦いの動機はひとりの女性であったり、己の信じる正義であって己の名誉ではない。『北斗の拳』の始まりではケンシロウはまるで物乞いのような格好でそれをこじつけに結構ひどい扱いをされたり侮辱されたりしているが、断じてそれを理由に拳を振るってはいない。彼が第一話において何の為に戦ったのかという答えは、そのまま武侠の戦う理由の答えになる、と思う。・・・でも、正直言って『蒼天の拳』はやりすぎてネタ化してるよな。
でも実際、『北斗の拳』は良い教科書だと思うよ。でも俺が扶桑を遊ぶときは、頼むからネタにするのはほどほどにしといてほしいな。歯止めが効かなくなりそうで怖えェ(笑)。