落第生の悲劇

真面目ぶった話が終わったので与太話のお時間です。なんせキツい試験制度だったから落第にまつわる話は山のようにある(笑)。
唐の時代の諺に既に、
五十少進士          五十歳で進士になるのは若いほう
なんて言われていたのだ。勉学を志す紅顔の美少年も落第を続けているうちにあっという間に時は経ち50、60といった歳になってしまう。宋の時代は老年になってやっと進士になった者のことを「五十年前二十三」と嘲笑したという。
南宋の始め、殿試が済んだ後の唱名の際、ひどく歳を取った老人がいるのに気付いた天子が歳を尋ねてみたところ七十三歳であるという。それで子は幾人いるのかと続けて問うといえまだ独身であると言う。天子はいたく同情して宮人のなかから施氏という美人を選んで娶らせたのだとか。このことは早速人々の口にのぼった。
新人若問老年幾     新妻から若し新郎の歳は幾つと問われたら
五十年前二十三     五十年前は二十三でしたと答えなさい
なんて諺をつくってはやし立てたのだとか。
そこまでいかなくても、郷試にすべった生員のことを例えば「点額」などとからかった。これは「点(きず)のある額(おでこ)」のこと。つまりどういうことかと言うと、昔から中国では黄河を遡った鯉は竜になって昇天すると言われていた。この黄河の急流を「登竜門」と言い、古来よりそこを突破すれば大きく道が拓ける試練の喩えとしてきた。実際のところ、そうそう遡れるわけもなく黄河には登りきれずに頭を傷だらけにした鯉が多数いた。このことから落第生を鯉と同列に見て「点額」と馬鹿にしたわけだ。ネーミングセンスはいいけど、呼ばれるほうはたまったもんじゃなかったろうな(笑)。