塩賊

塩賊というのは塩の密売人たちの秘密結社のことだ。他に塩梟・塩徒などとも呼ぶ。水滸伝を読んだことのある人なら、李俊を筆頭とする水軍の頭たちのうちにも塩の密売人が居たことを覚えていると思う。確か三国志関羽も若い頃は塩の密売をやっていて、官憲に追われて故郷を捨て、巡り巡って劉備と出会ったのではなかったけっけかな。どっかでそんな話をちらっと読んだ覚えがあるんだが、間違ってるかもしれん。確かめてないから嘘だったら済まん。例えで出すなら黄巣とかのほうが確実。唐の時代の塩賊で、なんと唐の首都長安を占領して国号を大斉と号し天子の位に登った男。ま、一年ほど後に唐朝復興の軍勢に負けて殺されたけどね。
塩賊は強大な力を持った秘密結社であり、また反骨精神のカタマリみたいな任侠の徒が大勢居た。上で挙げたように水滸伝にも出てくるから、武侠傳のPCの肩書きとしても使えるだろう。以下塩賊について。
塩の密売人が中国で力を振るったのは、歴代王朝の政策に原因がある。漢の武帝のときから始まったそうだが中国の王朝は塩の専売制を執ることが多かった。先の唐にしても財政難を塩の専売制度によって建て直している。だが、国庫が潤うのとは反対に一般庶民にはこの塩の専売制は常に重い負担となっていた。国は生産された塩を一度全て買い上げ、その後で塩の販売を許可した特許商人に払い下げたわけだが、この特許商人たちがその値段を際限なく吊り上げたせいだ。そのせいで淡食という味付けの無いみじめな食事を強いられたりもしたとか。わざわざ言うまでもないが塩は料理に欠かせない調味料で、しかもきちんと摂らないと命にも関わる。
そこで人々は合法の塩(官塩)には背を向け、もっぱらヤミの塩(私塩)に頼った。ヤミ塩も値段は張ったが性悪商人ほどではなかったから塩の密売を手掛ける塩賊は嫌われるどころか尊敬され期待されることのほうが多かった。
昼飯の時間なのでまたあとで。