コオロギに狂った権力者

闘蟋にハマッたのは庶民ばかりじゃなかった。明代の記録に

闘蟋のために街中の子供たちがコオロギを探し回るだけでなく、諸侯・貴族までもが職務に支障をきたし、豪族は財産を食い潰し、インテリは学業がおろそかになった

とあるのをみてもその熱狂っぷりと社会にもたらした弊害は尋常ではなかったらしい。
で、これほどの広まりをみせたのはやっぱり博打が絡んでいたからであったらしい。闘蟋に必要なのはコオロギ一匹なので、外で根気良く探せば素人でも強い虫を手に入れられる可能性はある。そして運良く自分の虫が勝ち抜いていけば、とてつもない大金を手にすることもできた。わらしべ長者ならぬコオロギ長者といったところか。
さらに前述の通りコオロギに狂ったのは庶民だけでなく貴族たち、果ては皇帝陛下その人までもであった。明の第五代皇帝・宣宗だ。「コオロギが鳴けば宣宗が欲しがる」とまで言われた蟋蟀迷で、毎年秋になると勅命を発してコオロギを集めさせたってんだから、その担当の家臣たちや庶民たちはまた大変な苦労を背負い込んだらしい。しかも宣宗はコオロギに関しては玄人はだしの知識の持ち主だった。ただ数を揃えりゃいいってものでもなかったらしい。
ホント、いい迷惑だ。どのくらい迷惑だったかは『聊斎志異』にある「促織」という話を読むべし。長くなるのでここでは割愛。
さて、そんなわけで要するにコオロギに詳しければ街のゴロツキであろうとも金持ちや大臣に取り入るチャンスがあったということだ。清の時代にはれっきとした専門職である「蟋蟀把式」が存在して庭師などと同じように雇われていたそうである。趣味の話から親しくなっていってやがて気に入られて取り立ててもらう、ってのはいつの時代でもあるパターンだ。しかもそこに賭け事がからんでくるとなれば口先だけの奇麗事ではおさまらないのも当然だろう。
次の日につづく。