殿試

この殿試は宋の時代になってから設けられたもので実は単に最終試験としてではなく、もっと重要な別の役割があった。科挙はその男の一生を左右するものだから、合格させてくれた試験官に特別の恩を感じるようになる。ここに私的な関係が生まれ、やがては親分子分となるまで発展する。その結果生じた大小様々な派閥が政治を左右するような弊害を生み出してしまうようになった。しかもこの手の仕組みは一度出来てしまったが最後、もう消滅させることはできない。
そこで宋の太祖は科挙の最後に自らが試験官となる殿試を追加し、恩を売ってその合格者すべてを自分の弟子にして彼らの大親分に納まったのだ。以後、この方式は最後まで受け継がれていくことになる。
ひどく大雑把にだがまとめてみた。足りないところが多々あるのは勘弁。真面目な話が終わったので次はオモロイ話をしたい。
なお、今回の記事は『科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))』からの抜粋がほとんど。名著であるので興味のある人は必読。